筑波大学を経て1984年にマツダSC(現 サンフレッチェ広島)に入団。
1983年、日本学生代表、日本B代表選出。1985年、ユニバーシアード神戸大会に出場。
筑波大時代の1年間のブラジル留学経験や広島コーチ時代の通訳兼務など英語、ポルトガル語に通じている。1992年に一度現役を引退するも翌年復帰し、12年間サンフレッチェ広島とヴィッセル神戸でプロ選手として活躍。
引退後は1997年ヴィッセル神戸でサテライトコーチとして指導者のキャリアをスタートさせ、1998年ヴィッセル神戸のトップチームコーチに昇格。シーズン途中退任したスペイン人監督の後任としてリーグ戦とプレーオフを事実上の監督としての指揮し、J1参入を決めた。2002年7月には監督としてJ2降格危機のクラブを立て直し残留に成功した。2003年、若手に切り替えてJ1復帰を目指していたアビスパ福岡の監督に就任し、2005年クラブを4年ぶりにJ1の舞台に導いた。
2006年8月J2ヴィッセル神戸にコーチとして復帰したが、終盤のJ1・J2入替戦では監督として指揮を取りチームをJ1に導いた。功績が認められ、2007年再び神戸の監督に就任しJ1リーグ10位、2008年J1リーグ10位の成果を残した。2009年栃木SCの監督に就任し、2010年は昇格2年目のクラブながら勝率5割の成績を残し10位と躍進させた以降も10位、11位とクラブのJリーグ定着のための礎を築きあげた。
2014年から2017年にかけて、JFAナショナルトレセンコーチを務め、B級〜S級ライセンスの講師も勤めるなど若い世代の選手や指導者の育成に力を注いだ。2018年から地元長崎のV・ファーレン長崎の育成部長として活動中。
志向するサッカースタイルとしては、ポゼッションやカウンタープレー、プレッシングやリトリートなど極端に偏ることなく、「勝利からの逆算」をモットーとし、サッカーの本質から外れることなく常に状況が変わる中で「より効果的なプレー」を思考し続けるサッカーを目指している。
著書:
・サッカー守備戦術の教科書 超ゾーンディフェンス論
・詳しいことはわかりませんが、サッカーの守り方を教えてください
Season | Club | Competition | Matches | Goals |
---|---|---|---|---|
1984 | マツダサッカークラブ |
JSL2部 |
0 |
0 |
1985 | マツダサッカークラブ |
JSL2部 |
0 |
0 |
1986-87 | マツダサッカークラブ |
JSL1部 |
21 |
0 |
1987-88 | マツダサッカークラブ |
JSL1部 |
22 |
0 |
1988-89 | マツダサッカークラブ |
JSL2部 JSL杯 |
0 3 |
0 0 |
1989-90 | マツダサッカークラブ |
JSL2部 JSL杯 |
28 2 |
0 0 |
1990-91 | マツダサッカークラブ |
JSL2部 JSL杯 |
24 3 |
3 0 |
1991-92 | マツダサッカークラブ |
JSL1部 JSL杯 |
0 1 |
0 0 |
1992 | サンフレッチェ広島 |
J1 ナビスコ杯 |
0 3 |
0 0 |
1993 | サンフレッチェ広島 |
J1 ナビスコ杯 天皇杯 |
36 5 2 |
3 0 0 |
1994 | サンフレッチェ広島 |
J1 ナビスコ杯 天皇杯 |
8 0 2 |
0 0 1 |
1995 | ヴィッセル神戸 |
JFL 天皇杯 |
28 3 |
2 0 |
1996 | ヴィッセル神戸 |
JFL 天皇杯 |
10 0 |
0 0 |
1992-1993 | サンフレッチェ広島コーチ | |||
1997-1998 | ヴィッセル神戸サテライトヘッドコーチ | |||
1998-2002 | ヴィッセル神戸コーチ | |||
2002.7月-2002.12月 | ヴィッセル神戸監督 | |||
2003-2006.5月 | アビスパ福岡監督 | |||
2006.8月-2008 | ヴィッセル神戸監督 | |||
2009-2013.9月 | 栃木SC監督 | |||
2014-2018 | JFAナショナルトレセンコーチ | |||
2018 | V・ファーレン長崎育成部長 兼 アカデミーダイレクター |