INTRODUTION
もの心ついたときからサッカーボールを蹴りはじめ、少年時代から「天才」と呼ばれる。世界との出会いも早く、13才の時にU-16日本代表に初選出されてから、各カテゴリーの日本代表に名を連ねる。1998年に、清水商業高校から浦和レッズに入団、同年のフランスワールドカップに最年少出場を果たす。
1999年のワールドユースではキャプテンとしてチームを引っ張り準優勝、自身もベストイレブンに選出された。シドニーオリンピックアジア予選での負傷以降試練の時を迎えるも、2000年には完全復帰。2001年には、オランダリーグ・フェイエノールトへ移籍し、1年目から中心選手として活躍。
オランダでの最初のシーズンでUEFAカップを制覇、プロ入り後初のビッグタイトルを獲得した。2002年日韓ワールドカップにも全試合出場、日本のベスト16入りに貢献。2004年にはオーバーエイジ枠でアテネオリンピックへ出場。リーダーとしてチームを牽引した。
その後、2006年に浦和レッズへ移籍し、同年のドイツワールドカップにも出場。浦和レッズでは清水商業高校の同級生でもあった平川選手などと活躍し、リーグ優勝やACL優勝に貢献。
2008年1月から、ブンデスリーガのボーフムへ移籍し、ドイツでも技術と視野の広さを武器に活躍した。 2010年1月には、2年ぶりのJリーグ復帰となる清水エスパルスへの移籍が決定。2010年、2011年はチームの中心として清水エスパルスを牽引。2012年9月、自身3度目の海外移籍となる、オーストラリアリーグのウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCへ。 1年目からチームのレギュラーシーズン優勝に貢献するなど、中心選手としてチームを牽引した。
2014年1月に、同年6月からのコンサドーレ札幌入りが発表され、ウェスタン・シドニー・ワンダラーズでの最終戦となったAFCチャンピオンズリーグの決勝トーナメント1回戦ではJ1王者のサンフレッチェ広島を相手に2ゴールを演出。ベスト8進出を置き土産にJリーグへ復帰した。
コンサドーレ札幌ではプレーだけでなく精神的支柱として、特に若手選手へ大きな影響を与え、チームのJ2優勝やJ1での上位争いなどに大きく貢献した。2019年8月にFC琉球へ完全移籍し2020シーズンまでプレーした後、2021シーズンから北海道コンサドーレ札幌に復帰。
2023年9月27日に、今シーズン限りでの引退を発表した。そして、12月3日浦和レッズとの最終戦を迎え現役を引退。
引退後の2024年から、北海道コンサドーレ札幌アンバサダー(One Hokkaido Nexus Organizer)に就任した。
ACTIVITIES
TV | ・FIFAコンフェデレーションズカップ2013(フジテレビ) ・ジャンクスポーツ(フジテレビ) ・バースデイ(TBS) ・有吉ゼミ(日本テレビ) ・体育会TV(TBS) 他多数 |
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MAGAZINE | ・Sportiva(2006年5月) ・サッカーダイジェスト(2021年6月) ・Number(2023年2月) ・NYLON JAPAN(2023年5月) ・ビッグコミック(2023年12月) ・Number PLUS「完全保存版 サッカーに愛された男1998-2023小野伸二のすべて。」 ※表紙、特別号抜粋 他多数 |
BOOKS | ・SOFC SOCCERMAGAZINE”SMILE“(2008年) ・GIFTED(2023年12月) |
SPONSERS | ・ナイキ(1998年〜2006年) ・コカコーラ(1999年〜2002年) ・日本赤十字社(1999年〜2001年) ・スカパー(2002年) ・So-net(2002年) ・文部科学省(2002年) ・トヨタ自動車(2002年〜2005年) ・SEGA(2003年) ・日立マクセル(2004年) ・KDDI(2004年) ・ハウス食品(2005年) ・Z会(2006年) ・Deutsche Bank(2008年) ・ローソン(2014年〜2015年) ・アシックスジャパン(2007年〜) ・スクウエア・エニックス(2017年) ・LVMH HUBLOT(2018年、2022年) ・株式会社プレナス(2019年) ・コナミデジタルエンタテインメント(2019年〜) ・ニュースキンジャパン株式会社(2021年〜) ・日本スポーツ振興センター(2024年〜) |